ミニマムに。軽やかに。

ミニマムに暮らしたいみもざの日常をつづっています。

幸福の意外な正体/ダニエル・ネトル 著

幸福の意外な正体/ダニエル・ネトル著 を読みました。

 

人間の最大にして永遠のテーマともいえる概念「幸福」。

捉えどころがなくて見えにくい。

幸福とはいったい何なのかを統計や実験をもとに論理的に説明しており、読後は視界が前よりクリアになった感じがします。

 

「完璧な幸福なんて存在しない」は一見ショッキングでガッカリする結論のような気もしますが、その事を分かっておくのはとても重要だと思いました。私はどちらかというとホッとしました。

 

薄々感じながらも、認めたくなかった事って、認めてしまうと案外心が軽くなるものです。

 

いままでどこかで、今よりもっと幸せになりたいと思っている節があったのです。常に現状に満足せず、次の幸せを探しているような、永遠にほの暗いトンネルを歩き続けるような感覚。トンネルのゴールを目指すことが唯一無二の重要なことのように。

 

幸福ばかりを追求することが意味ある事なのかを考えるきっかけになりました。

 

おそらくほとんどの人が幸せになりたい、不幸になりたくないと思っていると思いますし、その欲求はとても大事なのですが、私は今でもそれなりに幸せと感じているのに、もっともっと、と追求する必要があるのかな、ということを考えさせられました。

 

GDPが一定の値を超えると、幸福度は横ばいになるという結果があるそうです。

日本を含む先進国はもう一定の値を超えている国々。

普通に生活している分には命の危険に晒される心配もなければ、食べ物に困ることもなく、生活に必要なものも満たされている国。もう必要なものを十分すぎるほど用意されているし持っているんだなぁと。かつてないほど幸福な社会に住んでいて、幸福度はもう頭打ちな状態、トンネルでいうならば、もうほとんど出口に差し掛かっているのかも。

 

それならば、今あるものに感謝するほうがよほど幸福や満足感を得られる人生になるのかな、と思いました。

 

特にミニマム化を図っている私からすると、欲求の達成と喜び(快感)は必ずしも一致しないけれど、人間はこれを混同してしまうことが多々あるという実験結果はとても興味深く、私の今日の生活スタイルを後押ししてくれる内容でした。

 

所有欲を満たしたところで喜びが得られないことは往々にして起こりえる。さらに満たされた所有欲も月日とともに慣れてゆき、次の欲望を探し始める。実体験でも感じてきたことでしたが、人間の欲は際限がない、ということをいっそう強く確認できました。

 

周りに誇示する欲のためにしゃかりきに働いたりして…時間を失い自分を見失い…よりよい人生のために、幸福のためにしていたことがかえって自分を不幸にしていたというのはよくある話です。

 

人間には生物としての進化・繁栄のために幸福追求のプログラムというものが脳に設定されていて、それによって満たされた幸福感も次第に慣れ、次の幸福を探すように仕向けられているということを理解していると、自分を一歩引いた目で見られる気がします。「あ、今脳が例のプログラムで暴走しようとしている」というふうに。

 

欲はエネルギーにもなるし、人間の原動力になるものですが、強すぎると問題です。上手く自分で手懐けて、幸福を追求することに執着しすぎず、日々の生活に感謝しながら、人との交流を楽しみながら、自分やりたいことをする!

 

書くは易し…です。でも、少しずつ実践していきたいなと思います。

特に自分のやりたいことは未だに見えていない状況。

自分に真摯に向き合うことをこれまで割と避けてきたのですが…35歳の今、真剣に考えています。

 

 引き続き断捨離で不要なモノ・コトを排除し、視界と思考をクリアにしていこうと思います。