ミニマムに。軽やかに。

ミニマムに暮らしたいみもざの日常をつづっています。

はじめまして

会社勤め、30代半ばで夫と二人暮らしをしています。

 

ものをたくさん所有する生活から、少しずつものを減らしてミニマムで身軽な生活へと移行中です。振り返れば社会人になり、収入を得てからの私の人生は買い物ばかりでした。

 

20代の頃:服や雑貨等ファッション関連を買いまくる生活

30代前半:インテリアにはまり、北欧インテリアを集める生活

30代半ば(現在):これら購入したものを殆ど断捨離(継続中です)

 

社会人になりたての頃は、学生の頃には得られなかったまとまったお金(お給料)を得て、とにかく買い物が楽しくて仕方がありませんでした。会社帰りに毎日のようにデパートに寄っては買物をしていました。

 

ですが、爆買いを繰り返すうちに、楽しかった買い物も次第に新鮮味がなくなっていきました。そして買えば買うほど「もっといいもの、もっと素敵なもの」を探して品物がグレードアップしていく一方で満足度は低くなっていくという状況でした。次第に「こんなものまで買ってしまって」と嬉しさよりも罪悪感が芽生えることも多くなりました。探すのも疲れるうえ、所有してもすぐに飽き、心は満たされず、浪費を繰り返す日々。

 

幸せや楽しさをモノに見出そうとしていたので、モノへの依存度がとても高かったのだと思います。また、その価値観を手放すのが怖かったです。モノ以外で自分が幸せになれるのか、自信がなかったという感じでしょうか。でも、心ではモノで幸せは得られないということは薄々感じている自分もいました。

 

自分の感情にきちんと向き合わず、もやもやしつつもこんな生活を7年近くしていた2015年、ある言葉に出会います。

 

物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ自由なのです。

 

人間のもっとも大事なものが“生きる時間”だとしたら、この消費主義社会は、そのもっとも大事なものを奪っているのですよ。

 

 

いずれもウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏の言葉です。

 

当時はお金を浪費していることには後ろめたさがありましたが、時間の無駄遣いという観念で考えたことがなかったので、衝撃を受けました。私は消費社会の中にどっぷりつかり、自身の人生のものすごい時間を買い物と買い物を続けるために必要なお金を稼ぐこと(仕事)につぎこんでいたことに気が付かされました。買い物のために生きているといっても過言ではないくらいでした。

 

事を同じくして、当時ミニマリストがテレビなどで紹介されるようになり、最小限のもので生活するライフスタイルを知りました。テレビでは極限のミニマリストが紹介されることが多かったので私にはそこまでは無理だな~と思いつつも、「実はモノってそんなにたくさん必要ないかも?」と思い始め、少しずつ断捨離も始めます。

 

ところが31歳での結婚と引っ越しを機に、北欧インテリアにはまり、雑貨を買い始めてしまいます。北欧インテリアはシンプルでミニマルなデザインが多いので、なんとなく自分の目指しているところとマッチしている錯覚に陥っていました。雑貨を買い始めしばらくすると、また「もっと、もっと」のループにはまり、満足しないものにお金を費やすということを繰り返し始めました。

 

幸い今回は何年も費やさずに済み、インテリアを買い集める生活が1年ほど経ったころ、結局買い物ばかりしている自分に違和感を感じ始めました。そして「シンプルな生活はしたいだけど、おしゃれなインテリアに囲まれる生活は本当に自分のしたいことなのだろうか?」「買い物の対象がファッションからインテリアに移っただけで、また同じことを繰り返している気がする。」「自身が目指していた生活とはちがうのでは?」と思い始めるようになりました。そして、これまでの行動を振り返り「モノの所有では幸せは続かない」「モノを買い集めることが私の人生の目的ではない」という意識が強くなりました。また、「なるべくモノに囚われず、本当に心を満たすことをして生きていきたい」と思うようになりました。

 

今度の決意は固く、それ以降は本格的な断捨離を決行し、北欧インテリアもほとんど手放しました。

 

これまでさんざん遠回りをし、今も試行錯誤を繰り返している状態ではありますが、大規模な断捨離もだいぶ落ち着き、私の思い描くミニマムな生活に多少は近づいているかような気がします。

 

私の思い描くミニマムな生活は

 

・所有物が把握できる量

・モノの重複が少なく、すべてスタメン

・モノの管理に割く時間が少なく、やりたいことに集中できる

 

その時々の自身の生活にあった、「心地よい」と感じるものとのバランスを楽しみながら模索していきたいと思います。